2012年度 百里基地航空祭レポート








〜プロローグ〜



「明けない夜はない」
そんな言葉が思い浮かびました。

2010年、盛夏の中催された前回の百里基地航空祭以来、かの地でファントムの飛ぶ姿をただの一回も見ていなかったわけです。

次期主力戦闘機がF−35ライトニングUに決定し、それが開発の遅れで配備も遅れようとも、だからといってファントムの耐用時間が伸びるわけでもなく、今この瞬間にも用廃でスクラップとなっていく機体が出ているのが現状です。
つまり、ファントムの飛翔する姿を見られる時間は限られているという事であり、その最中にあってなお、毎回その勇姿を見に行っては期待を裏切られるという事を繰り返してました。
例えそれを未練がましいと謂われようとも、残り少ない時間を可能な限り共有したいと思うのは、私らファントム世代のファンならば当然の事であり何ら恥ずべき事でもなく不自然な事でもないと断言できます。


思い起こせば1979年に初めて百里基地を訪れて以来、少々のブランクはあったとはいえ常にファントムを追いかけていた、さらには自衛官時代は共に過ごしてきたわけです。
私にとって「F−4ファントム」という飛行機は、人生の全てであったと言っても過言ではない存在なのです。
退官してからは遠くで眺めるだけになりましたが、そんな距離感などもはや関係ないものになっているくらいの思い入れがあるのです。


そんな悶々とした感じを耐えに耐え、ようやく暗澹たる気持ちの闇も明けるであろう機会がやってきたのです。
という事で、待ちに待った2012年度の百里基地航空祭に行ってきました!


今年夏前に日程が発表になった時点で、今年の百里基地航空祭にはブルー・インパルスは参加しない旨の情報がありましたが、語弊を恐れずに言うと個人的にはそのような事は些事に過ぎません。
もっとも、ブルーに関しては今後機種変更はあるかも知れませんが、その存在自体が危ぶまれる事など、私が生きている間は無いと思いますし、何より見るチャンスはファントムよりも遙かに多いですからね。
実際今年は既に(極短時間とはいえ)2回も見ている訳ですから。
ですので、私にとって大事なのは「ファントムの勇姿」、それに尽きるってものです。


昨年の岐阜基地航空祭において久々に勇姿を見られたのは事実ですが、結局それはフラストレーションを募らせるだけになってしまいました。
それだけADTW(航空開発実験団)所属のファントムの機動飛行が素晴らしかった、という事でもあるのですが、それが逆に「MORE」を呼び起こしてしまったのかも知れません。それに加えての一昨年来の失望感もあり、今回のこの航空祭にかける意気込みは並々ならぬものがあったのです。

ましてや本当に久々の「秋開催」です。薫風穏やかなる季節に百里での航空祭など、何年前が最後だったかも憶えていない程遠い昔のような気もします。

そういう状況にあって、この日に照準を合わせて早々とスケジュールを組み立てました。
8月の終わり頃には早くも休暇を取る段取りも済ませましたよ。
万が一(主に天候)に備えて日程を長く設定しました。
10月18日の夜に三重県を出て、19日金曜日の朝から3日間、どっぷりと浸る計画で。
さらには余韻と疲労も考慮し、22日月曜日ゆったりと帰るという放蕩ぶりです。





〜初日 「LongDistance at MidNightRun」 【10月19日 金曜日】〜



出発は18日の深夜を予定していました。
今回はムスメを無理やり連れて行くという蛮行愚行であったので、その絡みもありまして。

はい、バカな親でスミマセン。

ムスメの塾が終って一休みしてから出発しようと思いましたが、今回に限って思いのほか自分の体調に不安を感じたので、小休止を挟み19日夜半に出る事に。
仮眠後に予定通りディパーチャーとなりました。

夜のハイウェイ(中央道)をひた走りますが、妙に車両の数が多いと感じました。19日まで東名の工事があったので、トラックなどがこちらへバイパスしていたのかもしれません。
途中では2台揃って時速60キロ以下で両車線を塞いだまま15km程も走るKYな普通車もいたりして、脳内のタイムテーブルとダイヤフラムは修正の嵐でした。


そんな事もあって微妙に遅れがちな道程となり、実家を素通りして百里基地に到着したのが7時半頃でしたか。まだ道路封鎖などはされていませんでしたので、すんなりと西門へと落ち着きました。
エプロンを覗くと8時前にはハンガーから機体を出す様子が伺えましたが、しばらくの間PR(プリ・フライト・チェック)の音も聞こえません。
代わりに本番用のナレーションでしょうか、そんなものが響いていました。

ようやくエンジン音が聞こえたのが9時前頃でしたか、RF−4がランプアウトし始め、その後離陸。やはりというかこの時期は北風が多いので03(南)側からです。使用は当然ライト。
エプロン撮影の最終調整なのでしょうか、数度のロー・パスを行った後にランディングしました。
が、その後は待てど暮らせど動きなし。

仕方が無いので西門を離れ、茨城空港ターミナルへと向かいます。
目的は会社の人と元ヨメ、ムスコへの御土産を買う為。
それと、ムスメが先日テレビを見ていてドラマのロケで出てたというので、そのロケ現場の検証です(笑。

西門にもギャラリーが多数おりましたが、ターミナルにも私と同じ目的であろうマニアな人達が大勢いらっしゃいました。
殆どが地元の年配の方々ですが、無線受信機片手に、さも何でも知っている風に、嬉々として得意げにマニア仲間と話す姿に、かなりドン引きしてしまったのは内緒です。
とはいえ、やっぱり傍から見れば私もあのように見えるのかとも思うと、少し自己嫌悪という感覚も抱いてしまいます。

結局、御土産を購入し軽くターミナルの食堂で食事をしつつ、あちこちプラプラして時間を費やす事に。
午後になって無線にコンタクトがありましたが、どうやら外来機の飛来ばかりのようです。
C−1、C−130ハーキュリーズ、何故かトラベラー・ポッドを抱えたF−4と共にF−2、T−7などが降りてきました。
15時半を過ぎて、この時間にエプロンに動きが無い以上、もう時間的に飛ぶ事はないと踏み16時ちょっと前に撤収です。


にしても…
心配していた台風21号も早々と離れ、若干の風はあったにしろここまでの晴天になるとは思いませんでした。
まぁ、天候の良さとギャラリーの収穫とは比例しないのがコレまでの私ですから、この日はこんなもんだろうと妙に納得しました。
その例に漏れず、撤収後の夕方にアメリカ海兵隊のF/A−18レガシー・ホーネットが飛来したとか。
ま、ほんとにね、こんなもんでしょう。

この日は実家の犬の散歩などをしつつ、金木犀の香りを堪能し秋を感じつつ、長距離ドライブの疲れをゆったりと癒しました。
友人と明日の段取りなどをやり取りしつつ熟睡です。





〜2日目 “招待者事前公開 プレ・ショー” 【10月20日 土曜日】〜



2010年の時と同じく、今回も土曜日は招待者のみを招いての事前公開、つまりプレ・ショーです。
ちなみに私、自衛隊OBなのに招待はされませんです。
今まであちこち渡り歩き過ぎたし、同期連中もどこに行ったやら分からず連絡も取らずで、今ではもう殆ど繋がりがありませんからねぇ、仕方がありません。


朝6時半過ぎに実家を出発し、観賞ポイントへと赴きます。
例によって基地外周のいたる所が進入禁止となり、さらに茨城空港も利用者以外はお断りとなっています。
空港利用者への配慮という事ですが、まぁこれは当然の処置でしょう。
確かに航空機マニアの中にも、残念ながらモラルやルールを遵守しようとすらしない、自己中な人もいますからね。この手合いはガキんちょよりも性質が悪い。
もっとも、北門や西門で見ることができるのであれば、何も制限のきつい空港で見ようとする人もいないと思いますが。
この辺は色々と「汚ねぇ大人の事情」も絡んでますし、先ほどの悪質なマニアによる自業自得な面もありますからね。仕方がありません。
しかし、地元の地主さんでしょうか、自前の土地を「貸し駐車場」として解放していたようですが、1,000円/日ってのは幾らなんでもボッタクリ過ぎのような気もします。
こうして足元を見られるのも、結局その原因は自分達にあるんでしょうけれども。

という事で、様々なシガラミから隔離された某所にて観賞することに。
わりかし視界も開けており、食事やトイレなどの心配もないなどなかなかの場所ですが、難点は滑走路が遠いという所でしょうか。
友人はといえば本日会社での用事があるとの事で、昼から合流する事に。事前にこのポイントを連絡しておきました。


到着時刻は7時半頃でしたか。基地の方を望むとエンジン音が聞こえます。
サイレンサーにてエンジン・ランナップをしているようで、轟音とともに水蒸気が立ち上っています。
しばらくの間待機していると、海上自衛隊のP−3Cが降りてきました。その後エプロン方面からエンジン音が微かに。

WX(ウェザーチェック=天候偵察)とオープニングを兼ねたT−4が動き出しました。
その動きの中、GTC(ガス・タービン・コンプレッサー)の音とJFS(ジェット・フューエル・スターター)の音が聞こえてきて、最初の編隊航過飛行組が準備開始となったみたいです。
いきなりコレ、ということはPRはすでに済ませているという事ですね。翌日に解った事ですが凡そ6時前後にはPRを行っていたようです。

WXのT−4が上がって後、編隊航過飛行組へタキシングのクリアランスが下りタクシーアウトです。アクティブ・ランウェイは03。
先陣は302SQ(Squadron=飛行隊)のファントム4機から。次いで305SQのF−15が4機、501SQのレコン・ファントムが4機、そして救難隊のU−125の順。これ以外にもう一機T−4がいました。
302のファントム、305のF−15それぞれにスペシャル塗装機が混じってました。
501のRFは例によってシャークティースです。やはりファントムが一番似合います。
アーミング・エリアからランウェイへと乗り、順次離陸。航過飛行組は普通に離陸していきました。
しばらくしてWXがフライパスしてランディングし、その後に編隊がやってきました。
302、305、501、救難隊の順で、302と305は共にダイアモンド、501は傘型のフォーメーションで、救難隊は単機。

航空祭事前公開 離陸と編隊航過飛行



編隊で航過した後、302SQファントム4機による「ミッシングマン・フォーメーション・フライト」です。
これはいわゆる「鎮魂の儀」みたいなもので、殉職者や戦死者など、要するに亡くなった方を弔う為のもので、今回のこれは昨年の東日本大震災へのレクイエムなのでしょうね。
一機だけ天空へと駆け抜けるのは、ここが貴方の場所です、という意味があるのだそうです。
実は私、この飛行を見たのは今回が初めてだったりします。
で、もう1つ白状しますと、この日も本番も、ミッシング・マンは動画の撮影に失敗こきまして…
いずれも見るに堪えないモノとなってしまいましたので没っちゃいました。
そして501の2機を残して順次コンバット・ピッチでランディングしていきます。
わりとあっさりとした内容でした。

しかし…
空港駐車場をバーナー・オンでパスする度に、駐車中の車の防犯ブザーが一斉に鳴り出す様は、なんと言うかとてもコミカルでしたよ。
逆を言えば、それだけその轟音、つまり空気の振動が激しいという事なんですね。
近隣の住宅への防音対策はやはり必要なのでしょう。

「2012年百里基地航空祭事前公開 RF−4&F−4EJ」
F−4EJのコンバット・ピッチで、一斉にブザーが鳴ります。



この時点ですでに肌寒さは普通に寒さに変り、風もあってか体感温度はすでに初冬のそれでした。
ほんの一昨日まで、まだまだ暑いと思っていたのにもうこれです。全国的に「秋」は短くなってきているんでしょうかね。
501の残った2機は会場の撮影飛行を行った後にランディングです。

しばしのインターバルの後は機動飛行、まずは302SQのファントム2機からのようです。
SP塗装機かと思いきや、さにあらず、でしたね。
久々にファントムのハイレートとコンバット・テイクオフを見ました。
この観賞ポイントだと、会場正面での旋回位置はこの真上にあたります。
バーナー・オンで真上を飛ぶファントムの雄姿たるや、言葉にならないほどの感動です。
やはりファントムの機動飛行はこうでなくてはいけません。

航空祭事前公開 F−4EJ機動飛行



かなりすっきりとした内容でランディング。これだけでも満足のいくものでした。
確かに全盛期と比べれば物足りなさはありましたが、現状を鑑みれば当時と比べる事自体間違っているのかも知れませんね。
そして今度は305のF−15が2機、片方はSP塗装機です。
胴体上面に305SQの梅マーク、垂直尾翼外側には青地に7空団の「7」を白抜きであしらったものに、206SQ時代のマルヨンも含めた歴代運用機のシルエットです。
207SQも含めて、あのマークほどこの地に似合うマークもありますまい。「水戸の梅」をモチーフにしたマークはシンプルながらも味のあるデザインだと思うのは私だけではないはず。
かつて現役の頃、83航空隊所属時代に携った飛行隊である302SQの尾白鷲も好きですが、やはりなじみ深いのはこの梅マークです。
302SQもそうですが、アーミング・エリアまでは3機が進出し、実際にフライトしたのは2機です。1機は予備だったのでしょう。
こちらもわりとあっさりした内容でランディング。

航空祭事前公開 F−15J機動飛行
こちらも車の防犯ブザーの一斉鳴動が…



F100エンジンのDEECでしたか、あの「キュイン」という音は何気に良いですねぇ。
しかし、段々と寒さが身に染みてきました。
雲ひとつ無い晴天で、太陽が燦々と輝いているにもかかわらず一向に温まりません。
やはり上着を持ってこなかったのは失敗だと痛感しましたよ。

昼を挟んで午後いちは戦術偵察飛行、いまではもう残り少なくなってしまったRFファントムによる、低空での機動飛行といった所ですか。
この時間帯になると、ランウェイのアクティブは21になっています。北側から2機そろって上がった所でスプレッド・アウト。これももはや定番です。
縦横無尽に飛び回るレコン・ファントムをカメラに収めつつ堪能します。
機動飛行もそうですが、これにはムスメも度肝を抜かれた様子。確かにこんな飛行は三重県ではまず見ることはできませんのでさもありなん、という感じでしょうか。


わりと高速で縦横無尽に飛び回るRF−4。
もう一機が再進入の為回り込んでいるのが見えます。


ターゲットを基点とした機敏な飛行は偵空ならではの切れ味といえますか。



目いっぱい飛び回った後は、302SQによるデモ・スクランブルとAGG(Air to Ground Gunner=空対地射撃)飛行です。
前回も思った事ですが、昔に比べて進入角度は明らかに浅くなっています。
まだ301SQが7空団所属だった頃や305SQがファントムを運用していた頃、基地でやはり頻繁にAGG訓練をしていましたが、その時の迫力は昨今の比ではありませんでした。
戦術が変化したのか、はたまた機体への負荷軽減なのかは定かではありませんが、うら寂しい感じもしないでもなく、これも時代の流れなのでしょうね。



かなりのハイ・アングル(高迎え角)テイクオフを見せるデモ・スクランブル機。



この角度での離陸も、通常ではあまり目にする事ができませんね。



AGGではF−15に譲れない、との意気込みが感じられる飛びっぷりですが…



やはりJ79サウンドは迫力があります。
今では少数派のターボジェット・エンジンの音はやはり心地よいですねぇ。



進入よりも離脱のほうがかなり角度が鋭いです。



やはり力強さ、という面ではこちらの方が大きい印象があります。本当の所は別として、ね。



AGGが終了した後は、救難隊の救難捜索デモです。
この時点で寒さの限界もきて、そんな私を友人も見るに見かねて「帰っぺか」と提案を。

以前なら鼻水が凍ろうとも粘っていたでしょうが、やはり歳なのでしょうか、もはや撤収に否もありません。
もっとも、ムスメもかなり寒さが堪えてきているようですから、ここは撤収すべきです。
最後のF−15による機動飛行を見ずに、捜索機の飛行を眺めながら実家へと帰りました。

さて、そんな感じで夜にはその友人と外食などをしつつ防寒用のジャンバーを借用しました。
その後、明日夜のオリオン座流星群の撮影データの調整と練習も兼ねて夜空の撮影へと赴きます。
クリアすぎるほどの夜空、やはり星の撮影は夏以外にすべきと思いましたよ。
明日は祭り本番、出発も夜明け前ですので早めに就寝です。





〜3日目“百里基地航空祭当日” 【10月21日 日曜日】〜



短い睡眠もなんのその、3時に起きて準備開始。
外に出てみれば、澄みきった星空も綺麗に輝いています。
車のガラスも水滴に覆われていますが、凍る程ではありません。が、やはり寒いのには変りありません。
準備も整い、3時半を回った所で出発。


前回と同じく駐車場はありますが、南側か北側かで迷いました。
入り易さでいけば南側、終了後の帰投を見るなら北側なのですが、北側はすっかり道も変わり果てていますから、やはり慣れた南側を選択しました。
ゆっくりとコンビニなどで朝食を調達がてら、4時半前に基地南側へと着きました。
03エンド延長上の広場も臨時駐車場として開放されているようですが、私らが向かうはその先です。が、一向に入場待ちの車列が見えないと思ったら、もう既に駐車場は開放されていました。


これまで百里の航空祭では、毎回長い入場待ちの渋滞に悩まされ、酷い時には渋滞にハマッたまま終了を迎えた、という悲しい思いをした方もいたと聞きます。
まして地元の住民、幹線道路のバスや茨城空港行きのバスの利用者にとっては迷惑以外のなにものでもありません。
なのでこの英断には私らも感謝と共に、主役である航空機のフライト以上の賞賛を基地と隊員に贈ってしかるべきです。

思いのほか早めに落ち着く事ができたので安心して開場時間までのひとときを過ごしましたよ。
来る途中でも霧が発生しており、ここも靄がかかっています。が、天上は見事な星空。今日の好天は決まったようなものです。
早くも友人と連絡を取り合い、例によって友人は単車なのでゆっくり出発です。


7時を回ろうかという所で南門へと向かいます。
門自体はすでに開けられており、ハーモのあたりで足止めとなりました。が、こちらも早めに開放され、一路エプロンを目指します。

途中パンフを入手し、向かった先は501オペレーション前。
まずはハンガーを空けるために引っ張り出された機体が作る列線を眺めます。ポクポクと歩きつつ、今度は外来機のほうへ。
C−130の尾翼のマークを見てムスメが「なんで“ノミ”が書いてあるん?」と。
一応“ペガサス”なんですが、言われてみればそのようにも見えましたよ。



今回の目玉の一つ、305飛行隊のスペシャル塗装機。



機首には鷲をモチーフにしたマーキング。ベリー・カラフル!



垂直尾翼には、梅組歴代運用機のシルエットが黄色で。
上側がF−104J(206飛行隊時代)、下がF−4EJ。
白抜きのシェブロンは数字の「7」です。こちら側では反対ですね。



朝陽を受けて、離陸準備を待ちます。



こちらはもう1つの目玉。302飛行隊のスペシャル塗装機。
かつての305飛行隊ファントム、305号機を彷彿とさせますねェ。



アンチ・グレア部分から背中に延びたブルーのラインがカッコいいです。
鮫口もやはり似合いますね!



尾翼リーディング(前縁)側の星は「7空団」を表しているとか。
増槽には歴代運用飛行隊の部隊マークが書かれています。オールドファンには涙モノの演出!



つらつらと展示機を見ながら、間も無くエンジンスタートするであろう機体の前に腰を落ち着かせ、友人にポジションリポート。
柵の手前には外人さんが数人おりました。プレス関係者なのかマニアなのかはわかりませんが、持っているカメラやレンズは、私には到底手の届かないようなかなり高価なもののようです。
そんな事を思っている間に友人と合流です。

既にWXのT−4はエンジンスタート、航過飛行組のパイロットも機体に就いています。
航過飛行組もエンジンをスタートし、まずは302SQのファントムから。
ついで501SQのレコン・ファントム、そして305SQのF−15です。

航過飛行地上準備 エンジン・スタート風景



今回はあえてラジオを持ち込みませんでしたので、出るタイミング等は完全に事後把握となります。まぁ、これもまたなかなか良いものです。

WXが離陸してしばし後に、航過飛行組はタクシー・アウトしました。

航過飛行組 タクシー・アウト



昨日とほぼ同じ順番でランウェイエンドに向い、順次離陸。昨日よりも近い位置ですので、これにはムスメも感嘆しきりです。
次々と航過して行き、会場撮影を挟みミッシングマン・フォーメーションに。
昨日もそうだったのですが、撮影は見事に失敗こきました。
やはりハンディカムは被写体をロストし易くて扱い難いです。

航過飛行とRF−4による会場空撮



航過飛行が終了した段階で水分補給するべく屋台へと赴き、ついでにかなり早めの昼ごはん調達も。お昼に買いに行ってはどれだけ待たされるかわかったものじゃありませんしね。
モクモクと平らげ、あとはいよいよ機動飛行を待つばかり。
撮影場所を考慮して、友人と相談し場所移動。が、今日も今日とて風向きは微妙です。
恐らくは朝と同じように21使用と踏み、エプロン南側へと移動します。すると、先ほどの外人さん集団もこちらにおりました。
考える事は一緒なんですね。

さて、機動飛行です。
まずはF−4からですが、やはり21からのようです。
昨日とは進入位置などが逆パターンとなっていますが、飛びっぷりは昨日同様。
もう言葉もありません。感動です。

302SQ F−4ファントム 機動飛行



次いでF−15も上がります。こちらも同様でした。


こちらの機動飛行はSP塗装機が担当。
この後にスプレッド・アウトを見せてくれます。















背面の“水戸の梅”マークは、見ているこちらも誇らしく思えてくるから不思議です。


その梅マークを会場に向けてナイフ・エッヂでパスする911号機。
思いっきり、目いっぱいラダーを切って踏ん張っている姿に注目!



で、機動飛行が降りた所でお買い物でも、と屋台へ向います。
色々見て回りましたが、結局購入したのは305SQマークのステッカーだけでした。
その足で、先ほどのRFが上空から撮影した会場写真を見に行きます。私らも写っているかと思いきや…
見事に私らはフレームから外れちゃってましたね。写真はホンの数メートル手前で終わってましたよ。
非常に残念でした。


さて、お昼のひと時。
装備品展示ハンガー内を巡りつつ、日陰、つまりハンガー内で待機です。

すでにこの段階で汗をかくほどの陽気となってました。日射病になってもおかしくない状況でしたね。
昨日はあんなに寒かったんですけど、まぁ、良い方向に予想が外れたのでまま良しとすべきです。
それよりも問題なのは、ズボンのベルトを忘れてきたので納まりが悪いってトコロでしょうか。
気を抜くと、私の「セクシー・コマンド」が発動してしまいますから大変です。


ハンガー内では展示してあるファントムの翼端部付近で小休止です。
展示してあるファントムを見て、ムスメと友人からとある質問をされましたよ。
航法灯パネルにあるライト横下のドレンポートらしき孔は何の孔?との事。
おっと、ここは「ぎ装整備」の範疇外ではないですか。もっとも、ここ7空団では検査隊に組み込まれているはずなので、こちらの整備員は知っているはずです。
がしかし、解らないものは答えようがないので「んん〜、わかんない」と言っておきました。
実際、近くに立っていた隊員もアーマメント(装備隊・武器弾薬)の隊員ですので聞いても困ってしまうだけです。
こういう機体のコアな部分の質問は、修理隊(Field Maintenance)、もしくは検査隊(Dock)に聞くことをお勧めします。
武器関係ならば装備隊の武器小隊(Armament)といった所ですか。
それもできれば幹部(空尉や空佐)ではなく、空士長か3曹、2曹の人がベストです。
それぞれの所属や職種は、帽子をみれば大抵判断できますよ。
もちろん、飛行に関しての質問はパイロットに訊ねるのが1番です。

さて時間も過ぎてエプロンの方ではRFがエンジンスタートしました。戦術偵察飛行です。
これも21上がりとみて、先ほどとほぼ同じ所まで出向きました。
昨日とは違い、インディビデュアルでのテイクオフです。スプレッド・アウトはやりませんでしたね。
迎撃機とは違うパターンで、基地空域を所狭しと飛び廻っている姿もやはりファントムらしさが際立っています。
ファントムによる機動飛行やAGGなどもみられる百里では、この飛行機の多能ぶりがよく解ります。

501SQ RF−4戦術偵察飛行 



コンバットピッチで着陸した所で、今度は救難隊の救難捜索デモ。
昨年来脚光を浴びている救難隊ですが、個人的には過去のMU−2とV−107のペアの印象が未だに根強く残っていたりするので、正直な所新しいペアはまだ目新しくて違和感があります。
とはいえ、やる事は同じ。
戦闘機ファンには地味と思われがちですが、現実的に一般人にもっとも近いのはこちらです。
実は私も「パラメディック」への転職を考えた時期もありました。体力1級も持ってましたしね。


それはともかく、この間に再度ポジション・チェンジ。
今度はその救難隊のU−125のまん前へと移動します。理由はAGGの撮影の為。
上がりは21ですが、AGGの進入方向は南側と判断し、捻った所に近く、かつ順光ぎみがベストですので。

1日基地指令がスクランブルを下令し、待機していたファントムがスタートします。
が、ランウェイに出た所でしばらくホールド。
ランウェイ上に鳥がいたとの事で、いなくなるまでそのまま動かず佇んでいます。
若干の時間が空きましたが無事離陸しました。そしてそのままAGGへ。
昨日とは違い、こちらへと突っ込んでくる形になりますのでその迫力も凄いものがあります。
まして丁度私らがいるあたりで引起しとバーナー・オンですから、音もこれまた凄いです。

320SQ F−4EJデモ・スクランブルから空対地攻撃デモ



数回のアタックで終了、そして最後は本日のトリF−15の機動飛行です。
こちらも午前と同様、小気味よいフライトでした。
その最中、早くも撤収準備部隊がやってきました。


F−15がダウンウィンド・レグに入った所で、私達も撤収です。
帰り際にムスメが食べたがっていた「チュロス」とかいうのを探しつつ、半額になったジャンクフードとともに購入です。
うむ、終了間際が狙い目なんですね、やっぱり。


基地の門をくぐり、駐車場へ付くと出口付近はやっぱり長蛇の列。
仕方なくしばらく待っていましたが、その間にもP−3C、C−130、C−1と次々に所属基地へと飛んで行きます。
それを眺めていると、隣に停めた年配の方が「三重県ですか、遠い所からご苦労様です」と声をかけられました。
その方々(夫婦でしょうね)も、伊勢神宮や熊野古道へ行った事があるらしく、そのロング・ディスタンスの辛さをしみじみと語っていましたね。
いやホント、実際片道500km強は遠いです。
が、先ほど上がったC−130は、小牧まで2時間もかかりません。空は空いてて速度も出せていいなぁと本気で思いました。

車列も少なくなって来たところで、こちらも駐車場から離脱。
実家へのいつものルートに乗るまでに、F−2も帰隊のため離陸していきます。そしてラジオにはネイティブな英語が入ってきました。
マリンコ・ホーネットのようです。

せっかくなので離陸を見ていこうと思い、とある場所で待機しました。
しばらくしてやってきましたが、これがまた迫力満点の離陸でしたよ。
遠目には普通のローアングルテイクオフなんですが、その真下ですから迫力が違います。
最後の最後にあんなものを見られるとはラッキーでした。

気だるい感覚を引きずって、実家へと向かいます。
途中で友人宅へ寄りジャンバーを返してお礼をいって、実家到着。
夕食を食べつつ、NHKで今日の航空祭のニュースを見つつ、撮ってきたビデオを眺めてました。

そして
オリオン座流星群を見るべく、それをインターバル撮影すべく出発。
初めは友人オススメの場所でトライしましたが、いかんせん車の往来が微妙に多く、その車のライトがダイレクトに障害になってしまうので河岸を変えました。
結局、前回ペルセウス座流星群を眺めた場所に落ち着いたのですが…
あまりの寒さと予想以上の流れ星の少なさとで、早々と撤収しましたよ。
帰って風呂で暖まり、ぐっすりと寝ました。





〜4日目 「Return To Base on 東海道」 【10月22日 月曜日】〜


楽しかったエアショー・ウィークも終わり、三重県へと帰ります。
朝6時に起きて準備し、ゆるりとリターン・トゥ・ベース。
疲労を引きずらないで帰れるのは非常に嬉しいところです。
という事で、どのルートで帰るか迷いましたが、今日だけ個人的な禁忌を破り東名ルートで帰る事に。

ま、大体は予想していたのですが、やっぱり首都高の渋滞に巻き込まれ、大幅な時間のロスに。
首都高を抜けるのに2時間弱も要しましたよ。

私らのような首都パスで高速道路乗り継ぎ者にとって、首都高は無駄以外のなにものでもありませんね。
なんで東名・東北・常磐の各高速のダイレクト・ルートが無いんでしょう?
主に首都高を利用する、首都に用事のある人にとっても、私らは邪魔者でしかないでしょうしね。
という事で、やはり首都高は鬼門でした。
まぁ、唯一救われたのは東京スカイツリーが見られたって事でしょうか。
ムスメは喜んで写真撮ってましたよ。

そんなこんなで東名に乗ったわけですが、第2東名の分岐点からは信じられないくらいのがら空き具合でした。
物凄く快適なドライブとなり、晴天も手伝って富士山もキレイに見えまして。
なんというか、小学2年生の頃に叔父たちと東名高速で箱根へ行った時のような風景でした。
「あの頃の高速道路って、こんな感じだったような…」と、昭和50年代初頭へ若干の脳内タイムスリップです。
これで首都高さえパスできれば、こちらのルートのほうが距離も料金も安くて良いんですけどねぇ。

と、そんな感慨もつかの間、わりと早めに三重県へと到着です。
到着した途端にコレまでの疲れがドッと出たようで、速攻で眠っちゃいました。
どんな夢を見たかなんて憶えてないくらい熟睡でした。





〜エピローグ〜


さて、全ての日程が非常に有意義だった今回の百里基地航空祭でした。
天候に恵まれたのが非常に嬉しかったし、幸運でした。
というのも、恐らくは百里基地航空祭でF−4ファントムの展示飛行が見られるのは、実際の所今回が最後と思われますので。
来年は航空祭は無く、「航空観閲式」でしょうし、となると次回の百里基地航空祭は2年後、2014年となります。
まだギリギリ飛行時間が残っている機体もあるかと思いますが、それを航空祭で消費してしまっては元も子もありません。

という事で、今回の百里基地航空祭は、私らファントム世代にとって非常に重要なイベントだった、という事です。
主催者側にとっても、私達にとっても大成功&大盛況に終わった2012年度百里基地航空祭。
ブルーインパルスの不参加や、フライト間隔の間延びもありましたが、逆にそれがいい思い出にもなりました。
今回の航空祭は、生涯忘れる事のないものとなりましたよ。

かつてF−86セイバーやF−104といった戦闘機が徐々に減り、いつしか航空祭の展示飛行から退いていった時のように。
今まさにそれと同じ状況にあるF−4ファントムも退こうとしています。
F−15、F−2、そして次期主力戦闘機になってしまうであろうF−35といった機体と入れ替わり、同時に私らファンの世代も新しくなっていくのでしょうが、そういった次世代へ、一時代を築いたファントムをどのように伝えていくのかを考えていかなければならないし、それが私らファントム世代の最大の義務のような気がします。

過去を含めたこの拙いレポートの数々がその一端を担えれば、これ以上の嬉しさと達成感はありません。




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