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開発国 | 日本 |
メーカー | 三菱重工業(最終組立て) |
使用国 | 日本 |
原型初飛行 | 1967年 |
超音速高等練習機「T−2」を改造して造られた支援戦闘機。 戦後の永きにわたる飛行機開発不毛の時代を乗り越えて、日本の航空機産業技術を復活させた、という所が、 この機体のもう1つの大きな存在価値であるとも言えます。 「T−2」の開発段階ですでに「支援戦闘機」としての運用を視野に入れていたとも言われ、「F−1」と しての開発は非常にスムーズに進んだと言う。 ただ、選定したエンジン(アドーアTF−40)が非力であり、加えて高翼面荷重、低アスペクト比の主翼のための機動性の低さ、 複座の後席をそのまま潰した為の視界不良、など、戦闘機としての能力はやや物足りない感じはしますが、操縦性は まずまずといった所で、練習機としてのT−2は大成功といえますが戦闘機としてのF−1はやはり力不足 と言わざるを得ません。 ただ、マルヨンなどのライセンス生産の経験があったにせよ、ノウハウもデータも殆どゼロから作り上げ、実用に 漕ぎつけた、と言う点で、この機体の持つ意味は非常に大きいと言えます。 機体の最大の特徴としては、横操縦をスポイラ−で行う点でしょうか。 これは三菱独自の手法で、ビジネス機「MU−2」でも同様の方式をとっていました。 一頃、よく英仏共同開発の「ジャギュア」のコピーなどと言われていましたが、これは全くの誤解で、同じ要求スペック のところに、まったく同じエンジンを選定した為に非常に似通った形状になったといういい具体例。 なお、間もなく全機退役が迫っており、また1つの時代が終焉を迎える。 |
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開発国 | おフランス |
メーカー | DASSAURT |
使用国 | フランス・インド・ベルギー他 |
原型初飛行 | 1966年 |
フランスのダッソー社製にしては珍しい後退翼のミラージュ。 前作のミラージュVから一転して尾翼つきの形態に転換した理由は定かではありませんが、ミラージュVの 後継機として、戦闘攻撃機としても運用できるように考えられたためだとか。 フランスの戦闘機に“F”のイニシャルが冠せられるのは非常に珍しい事で、この“F”が 「FIGHTER」 の“F”なのかは不明(知ってる人、教えて!)。 ただ、小柄であり、スタイルもどこか垢抜けていない所は、さすがセンスのないフランス製といった感じです。 余談ですが、わたしゃどうしても「おフランス」という国が芸術性が高いとは思えないんですが、どうでしょう。 基本性能はそこそこ、同時期の戦闘機群と遜色ないレベルにまとめられている所はさすが、といえる所で、日本 の「F−X」選定(ファントム導入期)にノミネートもされていました。 フランス本国ではそれほど配備はされていませんでしたが、輸出ではそこそこ売れたみたいで、各国に採用され、 現在でも第一線で活躍している国もあります。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHAMERICAN |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1945年(FJ1) |
アメリカ海軍ジェット戦闘機の黎明期を代表する戦闘機。 FJ1とFJ2以降では全くの別物でして、メーカーは何故同じ愛称をつけたのかは謎。 FJ1はオーソドックスな直線翼の機体で、同時期に採用された兄貴分ともいえるFH1ファントムと殆ど同じ 程度の性能でした。 朝鮮戦争において遅ればせながらアメリカでも後退翼の特性を手中にし、F−86セイバーで成功を収めましたが それをこの機体にフィードバックさせたのがFJ2以降の機体です。 ただ、やはり艦載機ということもあり、数々のギミック、または制約により、セイバーほどの能力は持ちえませんでした。 しかしこれは艦載機であるが故の能力制限であり、元のセイバーが傑作機たりえた事実をみれば、この機体も基本能力は 高かったといって差し支えないでしょう。それは次の海軍主力戦闘機であるF3Hデモン、F−8クルーセイダーの装備 された後も運用が続けられた事実が物語っています。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1945年 |
ジェット機として世界で初めて、空母での離着艦を記録した栄えある機体。 第2次大戦の終盤に初飛行し海軍に採用された。 ただし、この機も黎明期のジェット戦闘機の例に漏れず、ジェットエンジンのメリットを活かしきれず、能力的には レシプロの、いわゆる大戦機にも劣っていました。 終戦も決まったこともあり配備から数ヶ月で空母上からは姿を消し、地上運用一辺倒で使われたという。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL |
使用国 | アメリカ海軍、カナダ他 |
原型初飛行 | 1951年 |
FH1で実用にはこぎつけたものの、現実には「戦闘機」としては
如何ともしがたい性能だった、という失敗を受けて、FH1を改良した機体。 そもそものFH1が、空軍(当時陸軍航空隊)のF−80と比較してどうにも使えないモノであった事から、改良 したといってもたかが知れている、といった印象を受けます。 が、思った以上に性能はよかったらしく、実戦配備こそ短期間で終わりましたが後方での運用は結構長期にわたって 使用されていたそうです。 |
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開発国 | (一応)日本 |
メーカー | 三菱重工業(最終組立て) |
使用国 | 日本 |
原型初飛行 | 1990年 |
図らずも日本の外交能力の欠如を露呈する事になった機体。 この機体を「日本が開発した」といっていいのかどうか、非常に迷っちゃう機体でもあります。 先の「F−1」の後継機として、’80年代から計画がスタートした「FS−X」の決定機ですが、言うまでも無くロッキード・マーチンのF−16C の“コピー”機。 コピーとはいえ、大幅な設計変更を施し、機体構造からして「日本独自」の技術を駆使して設計された、いわば「モデルチェンジ」版とも言えなくも無い。 もとの「F−16」が傑作機であることから、その性能の程は言わずもがなだが、いかんせん’70年代の基本設計なので特筆すべき所は無い。 個人的な意見として、これを大金を叩いて(というかアメリカに支払ってまで)装備するなら、ゼロから日本が開発したほうが良かったと思っちゃう。 これによって日本の航空機産業が衰退の一途を辿らないことを願うばかり。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | DOUGLAS |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1948年 |
史上初の夜間艦上戦闘機。 戦闘機と銘打ってありますが、その姿はどう見ても戦闘機然としていない、むしろ攻撃機?みたいな機体。 夜間戦闘に主眼を置いたのか、はたまた未だ後退翼などのデータがなかったのかは不明ですが、オーソドックス というよりは堅実な飛行安定に特化した機体ともいえなくも無い。 これまた史上初の夜間撃墜(使用武器は不明)を記録した期待でもあり、このあたりは初の夜間戦闘機の面目躍如といったところ。 とはいえ、昼間ではターキーであることに変わりはないと思う。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1951年 |
アメリカ海軍における、本格的な全天候戦闘機。 全天候戦闘機とは、夜間でも戦闘行動が可能なことを指し、今でこそ当たり前、むしろ夜間のみの作戦を視野に置いた機体 すら出てきていますが、当時としては装備するFCSなどの問題でなかなか実用は困難であったようです。 この機体は前記の能力を付加するためにかなり大柄な機体となりました。また、配備当初は装備したJ40エンジン (ウェスチングハウス社製)の不調により事故が多発し、「殺人機」とまで揶揄されていました。 しかし、エンジンをJ71(アリソン社)に換装し、機体自体の改良も加えてからは見違えるほどの性能を発揮したといわれて います。しかし、当初はエンジンそのものによる不調と思われていたものは、機体の構造にも原因があったというのはずっと 後に解った事で、J71装備後も飛行条件によってはフレームアウトが頻繁に起こっていたそうです。 傑作機とまでは行きませんでしたが、全天候のさきがけ、スパローAAM運用のノウハウ、そしてF−4ファントムUの基礎を 築いた機体のひとつとして、この機の存在価値は非常に大きいと言えます。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL DOUGLAS |
使用国 | 世界各国 |
原型初飛行 | 1958年 |
Boresight本編でも紹介した傑作機中の傑作機。 詳しくは「Boresight バックナンバー」にて。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | DOUGLAS |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1953年 |
艦上戦闘機としては珍しいデルタ翼機。 ダグラスが自社で開発していたものが海軍の触手に触れ、高速性能にほれ込んで採用、となった。 F7Uに触発されて開発されただけあって、迎撃機としては優秀だったらしいですが、汎用性が無いため 海軍はさっさと退役させ、殆どが海兵隊に回された。 海軍の気まぐれに翻弄された機体の1つ。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHROP |
使用国 | 世界各国 |
原型初飛行 | 1959年 |
アメリカがジェット機時代をむかえ、同盟諸国むけに供与できる安価で軽量な軽戦闘機の開発を指示し、ノースロップが開発した機体。 戦闘能力を殺すことなく可能な限り簡素化した機体で、高価なレーダーFCSなどは装備していませんでした。 基本的な飛行性能は意外なほど優秀で、のちの傑作練習機「T−38 タロン」の元になったほど。 同盟諸国への供与は、イラン空軍を皮切りに開始され、費用対効果の高さから各国でもライセンス生産されるなど、計画はまずまずの 成功を収めたといっていいでしょう。 アメリカ空軍でも評価試験を行い、ベトナム戦争初期に「スコシ・タイガー」という部隊(なのか?)をベトナムに送り込んでいます。 このスコシ・タイガーはたしか5機ほどの部隊ですが、機数が少なかったために部隊名が日本語の「スコシ」なんだとか。 意外とセンスのいいネーミングだと思うんですが、どうでしょう。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHROP |
使用国 | けっこうな国々 |
原型初飛行 | 1970年(採用年) |
意外に高性能だったF−5A/Bのパワーアップ版。 F−5AにレーダーFCSなどの電子機器を装備し、機首周辺以外を再設計した機体です。 元々が小型な機体だけに、装備できるレーダーも限られてきますが、それでも能力的には格段に向上したようで この機体も各国に輸出されたばかりでなく、アメリカ空軍でも(主にアドバーサリーとしてですが)使用していました。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | VOUGHT |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1944年 |
アメリカ軍機としては初のアフターバーナー付エンジンを装備した機体で、アメリカ海軍としてはFH1ファントムに次ぐ
2番目の採用機。 スタビレーターに垂直安定版をつけるなど、非常に特徴的な外形をしていましたが、性能はファントムとさほど変わりなく、 少数が配備されただけに留まり、さらに一線からも早々と退きました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | VOUGHT |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1948年 |
アメリカ海軍は、空母艦隊における防空には欠かせないCAP(空中哨戒)任務には、膨大な手間と物資が必要になってくることから、
敵機をレーダーで探知した時に発艦し、高速で迎撃に向かう迎撃戦闘機の必要性を示しました。 こうした経緯から誕生したのがこの機体で、速度と上昇性能に特化したために非常にユニークな外形をしています。 当然その外観から、空中戦での機動性能などはハナから眼中にないことが伺えます。 特筆すべきは、迎撃戦闘に特化した機体、というところ。一撃離脱を唯一の戦法とした機体は、どこか「メッサーシュミットMe163」 を彷彿とさせる。 独特の形状は、平面形を見ると「ゼビウス」のソルバウルに似ていると思うのは私だけじゃないはず。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | VOUGHT |
使用国 | USA・フランス・フィリピン他 |
原型初飛行 | 1955年 |
F3Hデモンのライバルとして登場した機体で、言い換えればF3Hデモン失敗の保険とも言えなくも無い。 ただ、こちらは戦闘機としてはほぼ完成されていたと言え、採用後まもなく海軍の主力戦闘機となった。 「最後のガンファイター」とか言われるくらいその能力は高く、後に主力となる「F−4」出現までの間、主力戦闘機として君臨した。 空気取り入れ口(エアインテイク)からエンジンにいたるレイアウトは、基本的に当時のトレンドを周到していますが、レーダーFCS装備のために インテイク上部にレドームをつけた事。似たような経緯を持つソ連(当時)のMig−19などに比べると非常に洗練されており、合理的な 手法だともいえます。 また、主翼の持ち上げ機構がついている事。 これは胴体の迎え角以上に主翼の迎え角を大きく取り、揚力係数を稼ごうとした物で、離着艦時に使用していました。 後にも先にもこの機体が最初で最後のギミックでしたが、これは後の機体がそれを必要としない機体形状を取っていたためで、この機構が 失敗だったわけではないようです。 漫画「エリア88」にも登場した事もあって、意外と知っている人も多い。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | GRUMMAN |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1947年 |
ジェット戦闘機の黎明期に誕生した、艦上戦闘機。 そのしっかりとした(頑丈な)造りは、「グラマン鉄工所」とも言われたグラマンのポリシーを具現化したものと言える。 開発時期が終戦直後という事もあり、性能的には全くいいところが無く、朝鮮戦争に参加するももはや戦闘機としては通用しない 事が判明してしまいました。 その反省を踏まえて、基本性能がよかったパンサーに後退翼を付け、エンジンなどを強化したのがクーガーです。 これで見違える程性能の底上げが実現し、長らく海軍の空母上に君臨し続けました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | GRUMMAN |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1954年 |
アメリカ海軍の新たなる主力戦闘機として開発された機体。 基本的な飛行性能は、ナチュラルで安定し、戦闘能力もそこそこあったことから、主力戦闘機として採用されました。 また、何処よりも先んじて「エリア・ルール」を採用した事も特筆すべき所で、意外と知られていないが、コンベア社の F−102よりも先でした。 当然それによって速度性能も高く、これが採用に一役買っているのも事実でしょう。 装備する電子機器などにより、前期型と後期型に分けられ、機首のノーズコーン(レドーム)形状の違いで判別できます。 また、アメリカ海軍デモ・チーム「ブルーエンジェルズ」の使用機でもあり、ここでも前・後両型を使っていました。 かつて航空自衛隊のF−X選定で、この機体のグレードアップ版が、F−104との「見えない空中戦」をしたことは 広く知られており、その影響もあってか、結構日本でも有名だったりします。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED |
使用国 | アメリカ空軍、CIA、NASA |
原型初飛行 | 1962年 |
はたしてこれを戦闘機、として括っていいのか、迷っちゃう機体。 YF−12Aというよりも「SR−71」と言ったほうがわかりやすい。 もともとは超音速の戦闘機として開発されたはずですが、CIAの発注により「A−12」という攻撃機に変わり、 さらに「SR−71」として偵察機になった、という破天荒な経緯を持っています。 余談ですが、SR−71ブラックバードは、本当は「RS−71」というナンバーだったそうで、時の大統領が発表時に SとRをさかさまにしてしまい、そちらが正式名称になってしまったとか。 まあ、別にどっちでもいいじゃん。ねえ。中身は一緒だし。 当時としては非常に高価なチタニウム合金をふんだんに使い、マック3で巡航できるというスペックは、今なおそれを超える 機体は存在しない、といえる。唯一対抗できるのはロシアの「Mig−25」くらいか? |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | GRUMMAN |
使用国 | アメリカ海軍、イラン |
原型初飛行 | 1970年 |
艦上戦闘機の最高傑作機。 艦上戦闘機として今なおこの機体を上回る性能を持つ機体は出現していません。たぶん。 可変後退翼の採用、専用武装(AIM−54フェニックスミサイル)の付与など、別格の存在で、エンジンに足を引っ張られて いたものの格闘戦能力も非常に高いレベルを持っていました。 現在では艦隊防空の必要性が薄れてきたため、能力向上型の継続開発も打ち切られてしまい、空母上からは姿を消していっています。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL DOUGLAS(現BOEING) |
使用国 | USAF、イスラエル、日本 |
原型初飛行 | 1972年 |
言わずと知れた、世界最強の戦闘機。 1番の興味は、Su−27シリーズとどちらが強いか、という所。 開発にあたって、機動性(空戦能力)を極限まで突き詰め、且つ飛行性能の安定化を図り、それをコンピューターで 計算した結果に基づいて設計されたところ。 これは今でこそメジャーな開発方法ではあるが、F−15が実用機としては初めてじゃなかろうか。 また、それが結果としてこの様な最強にして最高の戦闘機として実を結んだのも、これだけのような気もしないでもない。 非常に素直な操縦性、高い機動性能、広い汎用性など、価格を除いてはいい事ずくめな機体ですが、ある意味操縦は難しい所も あるそうです。 現役パイロットによると、機体の持てるポテンシャルを100%活かすことは物凄く難しい、という事らしいです。 人間の限界を遙に超えている性能ゆえの、贅沢な問題ともいえますね。 しかし、そんなところもまた往年の傑作機「F−86」同様に「乗り手に好かれる」理由のひとつかもしれませんね。 まだまだ、この先20年は第一線で現役で活躍するであろう傑作機。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | GENERALDINAMICS(現LOCKHEED MARTIN) |
使用国 | アメリカ・その他たくさん |
原型初飛行 | 1974年 |
F−4に次ぐ大ベストセラー戦闘機。 もともとは高価すぎるF−15とのハイ・ローミックス構想の一環として採用が決まったが、安価で(あくまでF−15との比較)、 性能も装備の制限があるのももF−15に引けを取らないくらい優秀なため、むしろこっちが主力戦闘機と言っていいくらいに導入されまくった機体。 アメリカをはじめとして、NATO各国、アジア各国とそのカスタマーを広げ、総生産数はF−4と肩を並べる。 日本のFS−X選定に絡み、妥協案としてのF−2の基になったというのはあまりにも有名な話。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHROP |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1974年 |
F−18の元になった機体。 F−16とのフライオフ(実機飛行比較)の結果、採用には至らなかったものの、その性能の良さはF−16に決して引けを 取らなかったそうです。 敗れた原因は定かではありませんが、現在のF−18を見てみればわかるとおり、どちらに転んでも 問題なかったように思うのは私だけでしょうか。もっとも、価格などは無視ですが。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL DOUGLAS |
使用国 | アメリカ・カナダ・他多数 |
原型初飛行 | 1974年 |
ハイ・ローミックス構想時に、F−16と競合して負けたYF−17に端を
発する機体で、空軍での採用は無かったが、海軍機として採用された。 もともとはノースロップで開発された戦闘機であったが、海軍が採用するにあたり海軍機のノウハウがなかったノースロップにかわり マクダネルダグラスが最終組み立て会社となり、そのまま商標もマクダネルダグラスに渡った。 F−16に負けず劣らず性能は一級品であるが、いかんせん機体自体がスマートで、搭載燃料や電子機器にやや不満があるらしく、 海軍では「スーパー・ホーネット」にその主力の座を明け渡す事になる。 とはいえ、最高傑作である「F−14」を押し退けたその実力は高い物があり、もはや艦上戦闘機としては完成の域に達している。 名称のFスラAとは、戦闘攻撃機として表記するモノだが、なぜこの機体にのみF/Aの表記が用いられたのかは謎。 なお、現在空母航空団はこの1機種のみの構成で事足りるというから、たいしたものではあるが、ファンとしては少し寂しい気もするのは 致し方ないところ。 ちなみに、現在の「ブルー・エンジェルズ」の使用機(8代目か?)でもある。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL DOUGLAS |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 原型ってどれ? |
ホーネットのマイナーチェンジといった感じの機体。 とはいえ、基本設計こそF−18を元にしているが、その実は別モノといってよい。 航続距離の増大、離陸重量の増加、空力特性の向上、電子機器のグレードアップなど、その変更箇所は多岐に 渡っており、はたしてマイナーチェンジと呼べるかは謎。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHROP |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1982年 |
ノースロップが社運をかけて開発した、F−5Eの後継機にして第3世代をになう
べく造られた機体。 しかし、性能は良かったがこれと言って特筆すべき点が無く、また、同時期のF−16やF−18と比較すると、安価ではあるが それ以上に魅力に欠けるという理由で採用に至らなかった。 また、海外市場への販売も視野に入れていたが、同様の理由でオファーは取れずじまいとなり、結局お蔵入りとなってしまった。 |
開発(?)国 | イスラエル |
メーカー | IAI |
使用国 | アメリカ空軍・イスラエル |
原型初飛行 | 1970年 |
イスラエルが独自に開発(というかパクリ)した、デルタ翼の戦闘機。 開発の経緯としては、1960年代にフランスから供与を受けたミラージュV戦闘機をアップグレード したいイスラエルだったが、当のおフランスが政策をアラブよりに変更したために供給が一切できなくなり、 それならばと、ミラージュVを基に再設計して誕生したのがこの機体。 エンジンを強力なJ79(ファントムUと同じエンジン)に換装し、随所に改良を施した「クフィル」は、 同じミラージュVをもとに改良した本家おフランスの「ミラージュ5」を凌駕する性能を持っていた、といのは皮肉な話。 またこの機体はアメリカ海軍が、アドバーサリー(仮想敵機)として数年間、イスラエルからリースしたものを「F−21」として ナンバーを付与して運用していた。 しかし、維持費がかさんだりした為か、契約よりも早くイスラエルに返還した。 よって、正式には「F−21」というナンバーは事実上ないものとなっている。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED MARTIN |
使用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1990年 |
次世代を担う主力戦闘機として開発された機体で、現在はすでに量産体制に入っている。はず。 機動性とステルス性を両立させる事が空軍の要求事項で、これに対しこの機とYF−23の2機種がノミネート しました。 出来立てほやほやの本機ですが、この目で見る事ができるのはまだまだ先のことになるようです。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHROP |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1990年 |
次期主力戦闘機として開発された機体。 惜しくもF−22の前に敗れさり、採用には至らなかった。 個人的には、別にどっちでもいいやってな感じもしないでもないですが、ステルス性能に重点を おいたスタイルは、けして流麗とは言えず、もはやスタイルでF−22に負けているような気が しますね。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED MARTIN |
使用国 | 未定 |
原型初飛行 | 2000年 |
ん〜、良く解りません。 かつてあった「3軍共通運用機」とおなじコンセプトのもと、現在も研究が続けられているようです。 V/STOL能力をもち、さらに高機動性、ステルス性も織り込むなど、贅沢かつ無謀な開発をしています。 なんか、F−111の二の舞にならなければいいんですが。 どうでもいいですが、もはや最近の戦闘機に「カッコよさ」や「美しさ」は感じられないと思うのは果たして私 だけでしょうか。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED |
使用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1944年 |
アメリカにおける初の実用ジェット戦闘機。 他国の多くのジェット機が、レシプロ戦闘機のレイアウトを周到していたのに対し、こちらははじめからからジェットとして開発 されていた唯一の機体。ただ、キャノピーなど部品は流用していましたが。 軍の要求開始から僅か数週間で作り上げた、というのは有名な話で、ロッキードの開発集団「スカンク・ワークス」の名を世に 知らしめた機体ともいえます。 戦闘機としては朝鮮戦争でも散々な目にあったほど、大した能力はありませんでしたが飛行性能はまずまずだったらしく、この機体 を元に造られた練習機「T−33」は日本でもつい数年前まで飛んでいたベストセラー練習機で、このことからいかに基本設計が素晴らしい 物であったかが窺い知る事ができます。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | CONVAIR |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1944年 |
当時のジェットエンジンが非力で燃費も非常に悪かった
ことから、航続距離だけでも稼ぐための研究が行われていました。 この機体もそうした研究の一環で作成され、実用化を目指した機体の1つ。 とかくこの時期の機体に言える事は、レシプロ機との差は最大速度のみで、その他は大して性能的に アドバンテージがあるわけでもなかった事。いわばジェット戦闘機の黎明期、またはジェットエンジン の開発も始まったばかりだったので仕方の無い事ですが、各メーカーともその改良に躍起になっていました。 それまでの繋ぎ、またはジェットとレシプロの長所を組み合わせて性能の低さをカバーしようというのは当然考えられていた わけで、この機体はそれを具現化しようとしたものでした。 結局は大して性能も向上せず、早々とキャンセルされたことは言うまでもありません。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | BELL |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1945年 |
この機体もXF−81同様、航続距離を稼ぐための試作機。 J33遠心式ターボジェットエンジンを2基装備し、機内燃料を確保するために大柄な胴体になった。 もう、ここまでくるともはや戦闘機とはいえない機体となってしまい、当然採用にならず試作機だけで 終わってしまいました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | REPUBLIC |
使用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1946年 |
F−80と時を同じくして開発された機体で、後のアメリカ戦闘機開発に少なからず影響を与えました。 当時としては要求どおりの性能をクリアした数少ない機体の1つでありましたが、その要求自体が低レベルなものであったのは 後のMig−15出現によって実証されてしまいました。 とはいえ、基本性能が満足いくものであったために量産も行われ、また派生型(改良型)によりさらなる性能の底上げもできた という点では、潜在能力は高かったともいえる機体です。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | REPUBLIC |
使用国 | アメリカ空軍、NATO各国 |
原型初飛行 | 1950年 |
サンダージェットの主翼を後退翼にした機体で、やや機動性と高速性を向上させた機体。 ミグ・ショックを受ける前に計画は進んでいたらしいですが、その辺の資料があいまいなため真相は不明です。 もっとも、F−86に先を越されていたために朝鮮戦争には不参加となりました |
開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1948年(?) |
実用には至らなかったが、今考えるとごっつオモロイ機体。 いわゆるパラサイト・ファイターとして開発され、大型機にくっ付いて、敵機がきたら護衛のために分離して撃破し、またくっ付く、 というアニメ的発想から生まれた戦闘機。 ずんぐりとした外形からも、とうてい戦闘機として満足に活躍できるとは思えないが、これを本気で造ってしまう ところに、アメリカ人のフロンティア精神の真髄が見れる(というか、考えりゃわかるんだけどね、無理だって)。 |
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開発国 | USA |
メーカー | NORTHAMERICAN |
使用国 | 西側(当時)各国 |
原型初飛行 | 1947年 |
朝鮮戦争時の「ミグ・ショック」により誕生したと言える機体で、誰が何と言おうと、ジェット戦闘機の最高傑作機。 開発当初は直線翼の平凡な機体だったそうですが、遅ればせながら後退角の主翼をつけたために傑作機となりました。 第2世代戦闘機のパイオニアという地位こそ、Mig−15に譲ったものの、その性能の高さは完全にMig−15を凌駕 していたそうで、低空での格闘戦では無敵であったそうです。 当時のキル・レシオは12:1(米軍が1機損失に対して北朝鮮軍は12機を損失)だったそうで、その能力の高さが伺えます。 もっとも、アメリカ軍は第2次大戦からの生え抜きのパイロットがこぞって参加していた、という事情もあり、対する北朝鮮側は いってみれば技量不足だった、という実情もあったようで、もしろ脅威になっていたのは非公式に参加していたロシア(当時ソ連) 人パイロットが操るMig−15だったのでしょう。 日本では航空自衛隊発足時に採用(というかアメリカからの供与)し、練習機T−33とともに自衛隊航空の基礎を築いた機体でも あります。後に三菱重工でライセンス生産も行い、文字通り現在の日本航空機産業の礎ともなりました。 また、アクロバットチーム「ブルー・インパルス」の初代使用機としても知られており、その傑作機らしい癖のない飛行特性は パイロットからは絶大な支持を得ていたとも言われています。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHAMERICAN |
使用国 | いろいろ |
原型初飛行 | 1949年 |
セイバーを改造して、測距レーダーと火器管制装置(FSC)を組み込んだ機体で、
基本設計こそセイバーをもとにしているが、全く別の機体として生まれ変わった、故に、Fナンバーこそ同じだがニックネーム
が違っている。 ただ、FCS演算機がそれこそ年代物で、ケーブルやハーネス、機器自体の重量がかさんだり、複雑な操作にパイロットが翻弄 されたりと、あんまりいいイメージはなかったらしい。 とはいえ、「リード・コリジョン」という概念をパイロットに具現化してみせた、という点においては評価に値するかもしれない。 航空自衛隊でも、米軍からの供与を受け、短期間運用したが、当時のパイロット曰く 「手が3本ほしい」 というくらい、複雑且つ扱いづらい物だったようだ。 なお、NATOカ国でも運用され、後のNATOでの傑作機「フィアットFG1」の元になったのはあまりにも有名。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | CURTISS |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1945年 |
ジェット機時代の到来と、レシプロ機衰退の狭間で、それまで一流の
航空機メーカーだったカーチスは、完全にジェット機時代に乗り遅れてしまいました。 遅ればせながらジェット機の製作に着手したカーチスですが、そのノウハウはまったく無しという状況で、 スタイルもどこか保守的、というよりも完全にレシプロ機から離れていないものになってしまいました。 当然見向きもされず、この機体はお蔵入りとなってしまいました。 この機体の失敗により、カーチスは航空機業界から足を洗う事になってしまいました。 一流メーカーだったカーチスの最後の作品。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1948年 |
長距離爆撃機の護衛戦闘機の開発を空軍から受け、開発された機体のうちの1つ。 XF−85ゴブリンが結局使えない、と解った(わかるだろ、普通)時点で、空軍はエスコートファイターの必要性に迫られた ために、さらに適当な機体もなかった、ということで、各メーカーに開発を指示したわけです。 この機体はそうした内の1つで、マクダネルならではのぶっ飛んだデザイン、というわりにはどこか現在の戦闘機に 繋がるデザインを持っていました。 結局、コンセプトそのものがキャンセルとなってしまいましたが、性能的に満足いく結果が得られたらしく、この機体により 得られたデータは後のF−101ヴードゥー、さらにはF−4ファントムへと受け継がれていく事になります。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHROP |
使用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1948年 |
北米大陸の防空用戦闘機として開発され、後に核弾頭運用の攻撃機となった機体。 当時としては高度なレーダーを装備しており、当初から複座のレイアウトとなっていました。 やはり大戦中に開発されていた機体だけに、戦闘機としては及第点も付けられない機体ですが、この機体 で使用していた「ロケット弾による対空弾幕攻撃」の概念は、しばらくアメリカ空軍機で用いられていました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1949年 |
XF−88同様に、長距離爆撃機の護衛戦闘機のコンセプトを受けて
開発された機体。 けっこう垢抜けたスタイルをしていますが、計画自体が頓挫したためにお蔵入りに。 ただ、ロッキードのすごいところは、こうした機体たちから得られたノウハウを確実に次に繋げていったところ。 この機体も、のちの傑作機F−104の大切な「データ」として、無駄にはならなかった。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | REPUBLIC |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1949年 |
サンダーストリークをもとに開発された機体で、「逆テーパー翼」といわけの解らないものをつけた試験機。 主翼が付け根から先に行くに従って広くなっていて、翼厚も外に行くに従って厚くなっていくという変わったもの。 どのような効果をねらったものなのかは全く理解できませんが、後に同様の物がでていない事実をみれば「奇を衒った」 だけに終わったようです。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | CONVAIR |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1948年 |
終戦後にドイツから入手したデルタ翼に関する資料を基に研究されて
製作された試験機。 満足のいく結果が得られたらしく、後のF−102にそのデータは活かされることとなりました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHAMERICAN |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 現在調査中 |
F−86の成功を受けて、それをさらに改良した機体。 XF−88やXF−90同様のコンセプトの下作られたもので、性能的にはF−86と大して変わりなかったそうです。 航続距離を伸ばすため、機内燃料確保に重点を置いた改良で、結果的に重量がかさみ性能向上には至りませんでした。 計画キャンセルにより消えていった機体。 |
開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED |
使用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1949年 |
F−80(T−33)をベースに、火器管制装置をつけて武装強化を図った機体。 基本コンセプトはF−89と同じともいえます。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | NORTHAMERICAN |
使用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1953年 |
いわゆるセンチュリーシリーズのトップバッターで、初の実用超音速戦闘機。 導入当初は初期トラブルなどに見舞われ、酷評されていましたが、基本性能がよかったのか、改良が進むにつれて評価も 高まり、生産機数も増えていきました。 レーダーなどのFCSを持たない完全な昼間戦闘機でありましたが、セイバーの流れを汲みさらに進化した機体は高い戦闘能力 を発揮したようです。 アメリカのアクロバットチーム「サンダーバーズ」の5代目の使用機で、日本でもF−100Dを使って展示飛行を行いました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | McDONNELL |
使用国 | アメリカ、カナダ |
原型初飛行 | 1954年 |
戦略爆撃機の護衛機、として開発された機体。 しかし、その計画自体が頓挫したために急遽防空戦闘機として採用された経緯をもつ。 アメリカ本国では早々と戦闘機から偵察機への換装が進みましたが、カナダなどでは長い間主力戦闘機として運用していたようです。 エリア・ルールなどがまだ発見されていない時に、強引にエンジンパワーでマック1.5という速度をたたき出したのはさすが、としか言い様が ありません。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | CONVAIR |
使用・採用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1953年 |
制空戦闘機として開発された世界初の実用デルタ翼の機体。 固定武装は持たずに空対空ミサイルのみの運用を目的に開発が進められていました。 開発当初は、要求事項である音速突破ができずに非常に苦労していましたが、NACA(現NASA)からもたらされた「エリア・ルール」 という法則によって軽々と音速を突破した経緯をもつ、非常に難産な機体でもありました。 |
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開発国 | アメリカ |
メーカー | LOCKHEED |
使用・採用国 | アメリカ、カナダ、ドイツ、イタリア、日本、他 |
原型初飛行 | 1954年 |
「最後の有人戦闘機」というキャッチフレーズで一世を風靡した機体。 極限までそぎ落とされた胴体に申し訳程度についた主翼など、速度性能を突き詰めたその機体は現在でもなお通用するほどの 美しさと完成度を誇っていました。 ただ、その極限までスリム化された機体に防空システムとの自動リンク機材が入らない、また格闘戦では使えないだろうとの理由から、 アメリカでは少数が配備されたに留まりましたが、他の採用国ではそれなりに上手に運用してこの機体を「傑作機」に仕立て上げました。 日本でも旧式化したF−86に変わる主力戦闘機として(紆余曲折ののちに)採用し1980年後半まで一線機として運用していました。 現在ではすでに全世界から退役していますが、この機体の愛好家は多く、アメリカで「スターファイターズ」というデモ・チームが 大切に運用しています。残念ながら、日本ではもう飛行姿は見られなくなってしまいました。 |
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製造国 | アメリカ |
メーカー | REPUBLIC |
使用・採用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1955年 |
局地戦での戦闘爆撃機として、F−84Fの後を担うべく開発された機体。 非常に大柄な胴体に、楔型に切れ込んだ空気取り入れ口、四分割されたエンジンノズルなど、非常に個性的なスタイルをもつ。 当初から核弾頭の運用を視野に入れて開発されており、爆撃能力も高いものが要求されていたために、胴体に爆弾倉を持つなど 非常に独特な機構を持っていました。 戦闘機としてもそこそこ優秀な部類に入るようで、大柄な機体に似合わず格闘戦もこなせる万能機でした。 ただ、後年はF−4などの第3世代機の出現によりやや旧式化していったため、もっぱら※「ワイルド・ウィーゼル」機としての 運用がメインになっていったようです。 短期間ではありますが、「サンダーバーズ」でも使用していました。 ※ワイルド・ウィーゼル 対空ミサイルのレーダーサイトなどを攻撃するための機体を総じてこう呼ぶ。ワイルド・ウィーゼルとは「鼬(いたち)」の意味。 |
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製造国 | アメリカ |
メーカー | CONVAIR |
使用・採用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1953年 |
F−102の成功を受けて、SAGE(データリンク装置)機器搭載、対空核ミサイル運用の能力を加えて改良した機体。 主に北米大陸の防空部隊に配備されていたために、アメリカ大陸から外に出ることはなかった。 そのためか、現存する資料に映るこの機体は、グロス塗装により非常に綺麗な姿が印象的です。 |
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製造国 | アメリカ |
メーカー | GENERALDYNAMICS |
使用・採用国 | アメリカ空軍、オーストラリア |
原型初飛行 | 1964年 |
当時のマクナマラ国防長官によって提唱された「3軍共通戦闘機開発」によって開発された機体。 結局は海軍型(F−111B)は失敗に終わり、空軍仕様のF−111Aのみが量産にこぎつけました。基本的な概念はロシアの Su−24フェンサーと通じるものがあり、形状もどこか似通っています。 この機もエンジン、特にエアインテイク周辺の構造に悩まされた機体で、やはり戦闘機としては使えない物となってしまいました。 もっとも、VG翼採用により重量が嵩んだこともそれに拍車をかけていますが。 機体が大柄なため、改修されて電子戦機「EF−111 レイブン」として生まれ変わった。 後のF−14開発の基礎となった事は評価に値する機体ですね。 |
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製造国 | アメリカ |
メーカー | やはりロッキード |
使用・採用国 | アメリカ空軍 |
原型初飛行 | 1978年 |
原型の初飛行が1978年、1980年代後半にようやく一般に公開された秘密の戦闘機。 1990年に勃発した湾岸戦争で一躍有名になったステルス機です。 公開までにその存在自体は、まことしやかに囁かれていて、ありもしない「F−19」などのネタにもなっていました。 飛行試験や訓練なども、アメリカ大陸の片田舎で夜間に行われていたそうで、さらに情報管制も徹底されていたらしく、そのあたりの 管理はさすがアメリカ、とでもいいましょうか。 この機体の原型は「ハブ・ブルー」と呼ばれ、若干形状が異なっています。 戦闘機としての「F」ナンバーを持ちますが、見てわかるとおり戦闘なんてできやしませんて。 もっぱら攻撃に重点を置いた機体です。 笑い話で、メディアではよく「見えない戦闘機」なんて書かれていたため、本当に透明になる、と信じていた人が 結構いたりした。んなわきゃないって。 「ステルス」とは、本来は「隠れる」とか「秘密の」とかいう意味ですが、航空機における定義は「見難い」という意味。 正確には「低RCS(レーダー反射率)」という表現が正しい。 よって、レーダーに映ったりします。マジで。 |