ロシア(旧ソビエト連邦共和国)の航空機開発は、アメリカやヨーロッパ諸国のそれとは異なり、共産主義独特の方法を取っていました。 ロシアの戦闘機の代表各ともいえる「ミグ」というのは、機体固有の名称ではなくメーカー名で、そのメーカーというのも実は、「企業」 ではありませんでした。 当時ソ連は、軍(国家)主導で航空機の開発を行っていました。実際に研究や製造は、それぞれの「設計局」というセクションで行われて おり、軍の要求を各設計局に提示し、フライオフのような比較を行ったり、要求スペックが満たされているかを評価したりして「案」を 採用する、という形で行われていました。 この「設計局」といのが、いわゆるメーカー名のように言われていた「ミグ」であり「スホーイ」であったり、または「ヤコブレフ」で あったりします。 今でこそ共産主義の崩壊により、各設計局は「企業」という形でそれぞれ運用していますが、当時はいってみれば「公務員」みたいな 物だったのです。 ただ、利益の為の競争原理が無かったわけではなく、各設計局がお互いに競い合って開発に勤しんでいたのは事実でした。その見返りは どのようなものかは解りませんが、結果としてそのハングリー精神が、現在では世界最強の戦闘機を開発する最先端のメーカーとして名を 連ねることができたのでしょう。 数々の栄光と苦汁を舐めてきた各メーカーは、今後更なる苦境が待つ世界市場へと進出していく事でしょうが、冷戦なぞ過去の物となった 現在、アメリカの企業との共存、あるいはコラボレートするのもそう遠くない事かもしれません。 |
ロシアの飛行機各機についている愛称、これはロシアのオフィシャルな愛称ではなく、西側(当時。おもにアメリカ)が識別のために
つけた「コードネーム」で、これら愛称は「ナトー・コードネーム」と言われています。 今回紹介している機体の愛称の、頭文字を見ていると「何か」に気付くと思います。 そう、戦闘機は全て、頭文字が「F」になっています 。 戦闘機が「F」で爆撃機が「B」、ヘリコプターが「H」の字から始まる単語を用いて命名しています。 この愛称は、誰が何処でつけて公表しているのかは全く不明ですが、多くはこのコードネームが、公式な愛称として用いられています。 驚く事に、そのコードネームはロシアにも「逆輸入」され、ロシアでもそれを使っているようです。 もっとも、それは冷戦崩壊が始まってからのようですが、もしかするとそれ以前からも逆輸入していたかもしれません。 ただ、その愛称の“基準”は不明で、あまりカッコいいのとか綺麗なものは避けられているのは残念なところ。ロシア機の中にも カッコいい機体があるだけに、その辺は残念としか言い様がありませんね。変更するわけにも行かないでしょうし。 |
メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1946年 |
ソ連ジェット戦闘機群の極々初期に開発された機体で、戦後に入手したドイツのジェットエンジン技術を応用した、いわば
実験機的な機体。 とはいえ量産され実際に配備されてもいたらしく、ライバルのYak−15のほうが性能的に上だったために極少数が短期間 運用されている程度だったようです。 スタイル的にもドイツで研究されていたものに毛がはえた程度のもので、やはり実用するには時期が早かったようです。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | あっちこっち |
原型初飛行 | 1947年 |
朝鮮戦争において、世界初のジェット機同士による空中戦を繰り広げたことで有名になった機体。 世界に先んじて後退翼を採用し、その能力は「F−86」出現までは文字通り世界一でした。 アメリカがこの機体により受けた「ミグ・ショック」は相当のものだったらしく、その反動が傑作機F−86を 産み、結果的にこの機の優勢はあっという間になくなったわけです。 ただ、機体の能力によるアドヴァンテージはさほど無く、優劣は乗り手の能力により左右されるようになったそうです。 F−86の出現により優劣は逆転し、同じ後退翼を持つF−86の前に、なすすべも無く撃墜されたそうです。 もっとも、これが歴戦のロシア人パイロットが乗り高高度での空中戦であれば互角に渡り合えたともいわれ、現在でも 公表はされていませんが実際にそういった事例があったそうです。 当時のジェット機全てにいえることですが、やはりエンジン技術が未成熟なために機体そのものの能力を活かしきれていない のは惜しまれる所でしょう。 |
メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | たくさん |
原型初飛行 | 1947年 |
Mig−15の空力的な優秀さを活かすために、エンジンをより強力なものに換装したのがこの機体。 後期ではレーダーを装備したタイプも生産された。 |
メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | そりゃあもういっぱい |
原型初飛行 | 1947年 |
Mig−17を元に、エンジンを双発とし、レーダーを装備した強化型がこの機体。 主翼の後退角をさらに強烈に増やし、新開発のエンジンを装備して超音速をねらった。 ただ、同時期に勧められていた超音速機の開発もあってさほど生産されずに終わった。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | たくさん! |
原型初飛行 | 1955年 |
ロシア機の中でも最高の生産数を誇る、ロシア機きっての傑作機。 その生産数は、ライセンス生産や派生型を合わせると15,000機を越える。 デルタ翼と尾翼の組み合わせ、そして強力なエンジンにより、最大速度マック2クラスを可能にし、機動力も確保している。 ベトナム戦争において、特殊な戦法を用いてアメリカ軍を翻弄したのは有名な話。 開発コンセプトはF−104と同じと思われますが、能力的にはこちらのほうが上でしょうか。 ただ、Mig−15同様、乗り手により戦果が左右されるのは仕方の無いところ。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | ロシア、インド、北朝鮮、エチオピア他 |
原型初飛行 | 1967年 |
Mig−21の後継機として開発され、速度性能と機動力をさらに増強するために可変後退翼を採用した機体。 このあたりのコンセプトはF−111やF−14に通じるものがありますが、完成度は低く、装備する電子機器 なども旧態依然としていて、主力とはなりえませんでした。 ただ、その要求スペックは別として基本能力はそこそこのものであったらしく、輸出も結構されたようです。 また、後のMig−27の元ともなった事から、機体そのものの汎用性も高かったようです。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | ロシア、インド、リビア、シリア他 |
原型初飛行 | 1964年 |
世界で唯一、最大速度M3.0クラスの戦闘機として有名。 当時アメリカが掲げていた高高度/高速の戦略爆撃機構想を計画、それを進めており、ソ連としてもそれを迎撃するための戦闘機が 必要となりました。 そのような経緯の中で、必然的に音の3倍の速度、即ちM3.0を超える高速性能が要求されました。 空気摩擦による熱の問題は、機体外板の大部分を硬く重いスチール合金で覆い、さらにリベットは使えない為に溶接で接合するという手法が 用いられました。また、エンジンも要求スペックを満たすために大直径のターボジェットを用いるなど、それまでの航空機のセオリー からはやや外れたつくりをしていたそうです。 この機体は長らく謎の戦闘機として、存在は確認されていましたがその全容についてはまったく解明されていませんでした。その謎の ベールが剥されたのが、昭和51年に起きた「Mig25事件」です。 ソ連空軍のベレンコ中尉が操縦するMig25が、航空自衛隊の迎撃探索をかわして函館空港に強行着陸した事件。 その機体がこの後徹底的に解剖され、丸裸にされました。 ここで、先の造りの特徴や、電子装備が旧態依然としていること、戦闘機としての能力がそれ程高くないことなどが解りましたが、 実際問題として真空管を使った電子機器は確かに古臭いですが、開発時期やレーダーそのものの能力を考えると、驚異的な水準に 達していた事が解ります。 また、高速性能については本当にマック3以上での巡航が可能ということが確認されています。 これはイスラエルとアラブの「六日戦争」の時(たぶん)に、シリア軍(たしか)機が低空をマック3で飛行した記録があります。 いずれにしても、この機体が唯一のマック3クラスの戦闘機(能力レベルは別として)である事は今でも変わりません。 現在では偵察型の機体が主に運用されており、戦闘機としてはすでに第一線からは退いているそうです。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | アメリカ海軍 |
原型初飛行 | 1970年 |
MIg−23を攻撃機として改修した機体で、対空戦闘能力を削減し対地攻撃能力に特化した機体。 対地攻撃能力の向上により、全天候能力も向上し、レーダーFCSも対地攻撃専用のために小型化したため視界も良好に なったという、なんか皮肉めいた結果となりました。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | そりゃあもうたくさんの国々 |
原型初飛行 | 1977年 |
第4世代の戦闘機群を代表する、ロシアの最高傑作機の1つ。 アメリカの偵察衛星によってその存在が確認されたのが1977年で、Ram=Lのコード名が付けられました。 当時ソ連では、F−15やF−14、F−16といった機体と互角に渡り合える格闘専用の戦闘機開発を、ツアギの開発センター で研究していました。いわゆる空中戦に特化した制空戦闘機の必要性を感じていたわけで、とことん研究された流体力学による その外形は機能美の頂点ともいえます。また、この研究結果はスホーイ設計局にももたらされ、「フランカー」が誕生しました。 この「ファルクラム」と「フランカー」の形状が似ているのはこのためです。 この機体が西側に初めて姿を見せたのはフィンランドに表敬訪問した時でした。たしか1987年頃で、実戦配備からわずか数年で、 というのは極めて異例でした。これは売り込みのための訪問で、この頃からソ連は外貨獲得のため、また当時進められていた ペレストロイカによって欧米並みの販売を開始していたようです。 能力としてはもはや説明の必要も無いくらいで、(墜落はしたものの)パリ航空ショーでのデモフライトではその片鱗を如何なく 見せ付けました。 兄弟分のフランカーのほうが能力、汎用性ともに上回っているため現在では影が薄いといわざるを得ませんが、カスタマーは フランカーよりも多く、運用制限を別にすればF−15に対抗できる数少ない機体であることは間違いありません。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | ロシア、カザフスタン |
原型初飛行 | 1975年 |
Mig−25をベースに格闘能力を向上させた機体で、最高速性能こそ低下しましたがMIg−25が目指していた本来の
姿といってもいいでしょう。 アメリカの高高度/高速戦略爆撃機構想がキャンセルされた事により生まれた機体といえ、その計画自体はMig−25の 配備後から始まっていたそうです。 現在では設計がすでに旧式化しているためにそれ程の生産はされませんでした。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1956年 |
超音速戦闘機を目指して開発された機体で、当時の東側各国で運用された機体。 開発時期から、センチュリーシリーズの対抗機として開発されたようです。 スホーイ設計局の初の実用ジェット戦闘機で、形はMig−21に似てはいますが、空気取り入れ口からエンジンまでの ダクトをまっすぐにするのは当時のトレンドでもあり、必然的に似通った形状になるのは仕方の無いところ。 これにはロシアの研究機関「TsAGI」の存在によるものが非常に大きく、このあたりは後のMIg−29とSu−27 の関係にも通ずるものがある。 どちらかというと、ミグが戦闘機としての機体製造を行っていたのに対し、スホーイでは「戦闘爆撃機(攻撃機)」といった 汎用性の高い機体を受け持っていたとも言えなくも無いですね。 |
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メーカー | MIKOYAN GUREVICH |
使用国 | あっちこっち |
原型初飛行 | 1958?年 |
Su−7と同時期に開発され、後退翼にかわってデルタ翼を採用した機体。 これといって特徴も無く、全体的にはMig−21を一回り大きくした感じ。 もしかしたら、当時のソ連の設計局の間にもOEMがあったのかもしれませんね(ないよ、そんなの)。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | 世界各国 |
原型初飛行 | 1962年 |
大韓航空機撃墜事件で有名になった機体。 スホーイとしては初の制空戦闘機でしょうか。当時の最新鋭機「F−4」の対抗機として開発されたと言われています。 双発エンジン、低翼(どっちかというと低くした中翼)配置の主翼、など、こじつけではあるのでしょうがそう思わせる スタイルをしています。 |
メーカー | SUKHOI |
使用国 | けっこうな国々 |
原型初飛行 | 1966年 |
Su−9/−11をさらに改良し、可変後退翼としたのがこの機体で、設計変更というよりも再設計されたもので、
能力自体の底上げも行われています。 これまでのフィッター、フィッシュポットといったスホーイ機の離着陸性能の改良が最大の目的だったようですね。 戦闘爆撃機としての機体であり、その幅の広い運用適応能力は高い評価を受けたようで、採用した国も多かったようです。 さらにいまだに運用している国もあり、グラマンに匹敵するほどの頑丈さも持っているようですね。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | ロシア、ウクライナ、シリア他 |
原型初飛行 | 1970年 |
大型の戦闘爆撃機として知られていますが、実際には攻撃機としての運用を目的に開発された機体。 フィッターで得られた可変後退翼の有効性を活かすためにスホーイ設計局に開発させたらしく、時を同じくして出てきた F−111に非常に似ているため、“コピー機”とも言われましたが、真相は定かではありません。 ただ、F−111よりも完成度は高く、また機体の大きさからか搭載機器の汎用性も高いために様々なタイプが作られ、 東側各国でも多く採用されました。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | ロシア、ブルガリア、ウクライナ他 |
原型初飛行 | 1976年 |
ソ連は対地攻撃に特化した機体の必要性を感じ、スホーイとヤコブレフによる競争開発の結果、スホーイの案が採用される事となりました。 それがこの機体となり、くしくもアメリカのA−10と同じスペックとして開発が進められました。その結果、皮肉にもA−10との競合 に敗れたノースロップYA−9の機体形状に準じた、高翼配置でエンジンは胴体脇に配置という保守的なスタイルとなりました。 ただ、攻撃機としての能力には高いものがあり、採用した国も多く存在します。 攻撃能力に特化した機体だけに、飛行性能は戦闘機に遠く及びませんが、兵装搭載量やサバイバビリティはA−10と比較してもけして 遜色ない物となっています。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | ロシア、中国、イラン他 |
原型初飛行 | 1981年 |
間違いなく、世界最強の戦闘機の1つとして知られる機体。 このSu−27が、後に続々と出てくる「フランカーシリーズ」の基本形で、その潜在能力の高さは数々のデモンストレーションでも 垣間見ることができます。 元々が第4世代を担う戦闘機として、Mig−29とともに開発されたもので、飛行性能的にはMig−29同様、とことんまで追求 されています。 驚異的なのはそのピッチコントロール能力で、先のパリ航空ショーでみせた「プガチョフ・コブラ」や「フック」など、トリッキー な飛行を可能にしています。 ただ、ロールレートはF−14並といわれていますが、機体サイズからすると仕方の無いところでしょうか。それを解消するために 開発されたのが、後の「Su−37」で、エンジンの排気ノズルを動かす事によりロールレートの低さをカバーしようとしました。 元々の能力自体が驚異的な高レベルなものであるため、汎用性も高く、同じ時期に出てきたMig−29を完全に凌駕しています。 そのため、海外へのセールスにも影響しているようです。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | 未定 |
原型初飛行 | Su−27に同じ |
Su−27をベースとした様々な派生型が生まれました。 その1つには、複座の長距離型、並列複座になり、機種部を再設計した攻撃能力向上型、全遊動式のカナード翼をつけた機動性向上型、 そして可変推力ノズルを装備した高機動飛行型(っていうのか?)などがあります。 パリ航空ショーで「クルビット」なる技を見せ、デモ中に地上に激突しながらも急上昇して見せたのは、高機動飛行型のSu−37という 機体。 ただ、これらの派生型はまだ採用国もなく、現在はセールスの真っ最中らしい。 また、これら「フランカー派生型」は空中戦能力こそF−15と互角(か?)ですが、その搭載する火器管制装置はロシア機とは思えないほどの 高性能なものが装備されており、その1つにはオフボアサイト状態でも敵機をロックオンし、極端に言えば機体進行方向の90°四方方向(勿論視界内に限りますが)にいる敵機にも ミサイルを発射できる、「ヘルメット・マウント・サイト」などがあります。 ステルス性一辺倒の第5世代の戦闘機群にとって、脅威の空中戦能力をもつフランカーシリーズは最大のライバルとなる事でしょう。 |
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メーカー | SUKHOI |
使用国 | ロシア(研究機) |
原型初飛行 | 現在調査中 |
前進翼を持ち、数年前にどこだかの航空ショーで姿を見せ、世界を驚かせた機体。 アメリカのX−29研究機とその目的は同じらしいですが、主翼の構成に複合材を多用したのが最大の特徴 でしょうか。前進翼の最大の課題は、主翼にかかる捩れなどに対する強度の問題。 それらを研究するための機体なのでしょうかね。きっと。 ちなみに「ベルクート」とはロシア語で「イヌワシ」の意味らしいです。研究機ですので「F」ではないんですね。 |
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メーカー | YAKOVLEV |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1946年 |
ソ連における最初のジェット戦闘機で、同じヤコブレフのレシプロ戦闘機を改造して作られた機体。 200機前後と少ないですが量産もされたようです。 |
メーカー | YAKOVLEV |
使用国 | ロシア、チェコ・スロバキア |
原型初飛行 | 1947年 |
Yak−15の発展型で、かなりの改修が加えられた機体。 初の射出座席(脱出装置)装備機で、Yak−15から続く主力戦闘機としての座にあったが、より高性能のMig−15が実用化 されたために短命に終わった機体。 |
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メーカー | YAKOVLEV |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1953年 |
ソ連初の全天候戦闘機。 戦闘機、というにはやはり無理があり、エンジンを主翼下に装備しレーダーを機首に装備したためにデカッ鼻になっている姿は どう見ても軽爆撃機。 |
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メーカー | YAKOVLEV |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1958年 |
Yak−25を改良した機体で、幾分スリムになりようやくそれらしくなった。 後年には電子偵察機となり、1990年あたりまで使用していたらしいです。 |
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メーカー | YAKOVLEV |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1964年 |
イギリスのハリアーとならぶ、数少ないVTOL戦闘機。 ハリアーとは比べようも無いくらい完成度は低く、空母での運用が中心でしたが現在はすでに退役している。 通常のエンジン2基とリフト用エンジン2基という、これまた各国のVTOL気同様、その研究の「ワナ」に捕まって しまった機体ともいえますが、実用化してしまったところにソ連時代のロシアのハングリー精神が見えます。 こうしてみると、いかにハリアーが奇跡的な機体かがわかろうというもの。 |
メーカー | YAKOVLEV |
使用国 | なし |
原型初飛行 | 1987年 |
フォージャーの失敗にこりずに、さらに超音速を目指した機体。 当然実用化されずに、博物館いりとなってしまいました。 |
メーカー | TUPOLEV |
使用国 | ロシア |
原型初飛行 | 1959年 |
爆撃機専門とおもわれていたツポレフ設計局の唯一の戦闘機。 ツポレフ機らしくかなり大柄な機体で、CAP任務専用に作られたミサイル発射母機的な運用を目的に採用したような機体です。 やはり、どっからみても爆撃機にしか見えないんですけど・・・。 |
メーカー | LAVOCHKIN |
使用国 | ? |
原型初飛行 | ?年 |
すみません。資料がないんですよ。 この機体については名前くらいしかわかりません。 そもそもラボーチキンっていうのがわかりません。 ほんとにあったの? |